なんちゃって哲学 生きづらさ

【騒音問題】自分から加害者を探しに行っていないか?


この記事で言いたいこと

近所に夜中に爆音で走る原付がいる。上の階の足音も大きい。超音波のような猫よけの音も気になる。
全部、不快だ。

だが気づいた。主役は同時に一人しかいない。
加害者を見つけているというより、もしや探しに行っているのではないか。

注意:本記事は、神経質な筆者が名著「嫌われる勇気」中のフレーズを借りつつ、自分自身の苦痛を減らせないか試行錯誤する過程だ。
   実用性が皆無なひとりごととして、興味があれば読んでみてほしい。


猫よけを見つけたら、高音に敏感になる

順番を思い出すと、おかしい。

猫よけが気になっていた頃は、高い音に耳を澄ましていた。
足音が主役の頃は、低く響く音に耳をすませた。
バイク音が主役になった途端、自動車の音が気になるようになり、その時足音も猫よけも大して気にならなくなった。

被害の総量が増えているわけではない。
今の加害者が誰かだけが入れ替わっている。

敏感だから気になる——そうかもしれないし、それだけじゃないかもしれない。
よく考えると同時に追うのは、いつも一人だけだ。

加害者を「見つけている」のではなく、探しに行っているのではないか。
5月のある夜、そう思った。


耳を澄ます、反芻する

騒音が気になり始めると、なぜか耳を澄ます。
聞こえない方がいいのに、聞こえることを確認したがる。

受動的に被害を受けているだけではない。能動的に加害者候補を監視している。
被害に遭っている状態を、確定させたいのではないか。

うるさい隣の部屋。銭湯で喋る人。
加害者を探すことで変わっているのは、「いやなあいつ」「かわいそうな私」「被害者の私」の輪郭だけ。

「これからどうするか」を考えていない。
被害者の自分を、更新し続けている。

世界には不快なものが多数ある。なのに、同時に追うのは一つ。
今の加害者が決まれば、他は背景に消える。

加害者(いやなあいつ)を求めるような行動を取るのはなぜだろうか。


疑問

本物の加害者がいるが、なぜ自分は耳を澄まし続けるのか。
なぜ「静かになった」と期待し、また裏切られたときに、被害者の自分を更新するのか。
なぜ、解決しない問題の前で、「かわいそうな私」の反芻に戻るのか。

通報した。限界も見た。引越しは金で止まっている。
探しに行く癖が、解決不能な問題の上に、第二の苦痛を載せている気がする。


監視&我慢&文句の方が、決断より楽

「静かになるかもだから待つ」——これは忍耐ではない。
何もしないことの言い換えだ。

変えられるものはある、連日通報してやめさせるか、自分が距離を取るか。判断と行動が要る。
変えられないなら、受け入れるしかない。それも実はそれも決断だ。

「かわいそうな私」を詳しく考える方が、決断より楽なのではないか。

しゃっくりが続くとき、「もう来るか、収まったか」と監視する。期待したせいで、出たときのストレスが増える。
不幸も同じ構造がある。監視すればするほど、来たときのダメージが大きくなる。

何かにイラッとする瞬間に共通するのは、期待が裏切られたときだ。
静かになったと思った隣人が、またうるさい。

爆音原付は、なぜか2週間静かになったがその後復活した——期待が裏切られた感覚は本物だ。
だが、その瞬間に先に起きるのは「どうするか」ではなく、「やはり被害者だ」という更新ではないか。

期待。裏切り。更新。
このループが、加害者探しのエンジンになっている。

通報はした。引越しは検討中。直接注意は選べない。
そのうえで、「これからどうするか」を考えない時間に、何をしているか。

答えが「かわいそうな私を反芻する」なら、加害者探しは止まっていない。
行動の限界がある問題ほど、被害者更新に逃げやすい。


「自分が悪い」では片づけたくない

ここまで書いて、自分にも言いたい。

「加害者を探している自分が悪い」と言い切ることで、ある種の諦めを求めていないか。

通報した。限界を見た。引越しは金で止まっている。直接注意は怖い。
この現実を、「心の持ち方」の問題に圧縮するのは、楽かもしれない。

「だから自分が悪い」とまとめれば、引越しのコストも、恐怖も、交番の限界も、一度に帳消しにできる。

本物の加害者がいる問題と、加害者探しの癖——この二つを混ぜるな。
混ぜると、なんとも侮辱になる。

爆音原付のせいで苦しいのは事実だ。
その上で、自分をもう一段追い込んでいるのも事実だ。


イラッとした瞬間に問う3つ

  1. 今、不必要な注目をしていないか?(耳をすませていないか)
    澄ましているなら、能動的な監視がある。変えられそうなポイント
  2. 今考えているのは「かわいそうな私」か、「じゃあどうするか」か?
    前者だけなら、まだ探しに行っている。変えられそうなのは後者
  3. 主役の加害者が変わっても、反芻の内容は変わるか?
    足音から叫び声に移っても、更新されるのが「被害者の自分」なら、たぶん叫び声がなくなっても、別の加害者を探す。

探しに行く時間を、決断に替える。
引越しの見積もり。耳塞ぎ。今日は監視をやめる——具体が出れば、まだ全部が「心の問題」ではない。

「敏感だから仕方ない」で止めるのが、いちばん薄い。


まとめ(暫定)

変えられないものは大量にある。
相手が間違っていると感じるのに、それが続く状況も全然ある。

その上で、自分でもう一段追い込んでいないだろうか。
「かわいそうな私」目的の行動は、実は楽なルートに逃げているだけなのかもしれない。

被害者のはずなのになんて厳しいことを聞かされているのだろうか。
だがここまで突き刺して考えてみると何か突破口がある気もしてきた。

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